親が「動いたら死ぬ」と言われたらどうする?

先日とある会合で、在宅医療・介護を担っている医師たちの話を聞きました。
一人は皮膚科の先生で、地域で訪問診療もされています。その先生が、皮膚のトラブルを診てほしいと地域の内科医から依頼され、ある高齢者の患者さんのお宅に行きました。
大事ではなく、ちょっとした治療で治まりそうだった。けれども驚いたのは、その人の行動範囲がベッドの周辺だけだったこと。それほど制限されるような障害は無かったはずだと思い聞いてみると、
「動いたら死ぬって言われてるの」
その患者さんは、数か月前に心臓疾患で倒れました。生死をさまよい大変な思いをしたが、回復。一人暮らしをしていましたが、発作など予期せぬ事態がいつ起きるか分からないから、施設などに入るよう強く勧められた。
けれども、どうしても家に帰りたいとの意志を通して帰って来た。そしたら医者から、生活はベッドの周りだけにしろと言われた。動いたら死ぬ、と。せっかく家に帰って来たけどあまり楽しくないわね、と悲しそうに微笑んでいたそうです。
皮膚科医はカーッと血が上り、内科医に抗議。「患者さんの尊厳と自立を損なっているのではないか」と。しかし内科医は、自由に動いたときに起きるリスクを重視。「何か起きたときに責任とれるのか」と返し、議論は平行線に終わったとのことでした。
さて、親が医師にそう言われたら、あなたならどうしますか?
動き回ったら発作が起きるから、じっとしててほしいと思いますか?
この内科医の指示は、現代のもっとも常識的な考え方です。これまで医療は、患者を死なせないことが目的でした。自由に動き回ったら発作が起きて死ぬかもしれない、だから、死なないようにするためにじっとしていろ、なのです。
その会合にいたもう一人の医師がこう言いました。
「俺なら、好きなようにさせる。俺が責任取るから」
発言の主は小串輝男医師。滋賀県東近江市にある小串医院の院長で、医療や介護の専門職種のネットワークを作り、地域医療を担っています。
高齢化が進んだ日本では、これまでの医療の考え方をあらためなければならない時期にきている。とくに医師の役割については、在宅医療・介護においては患者さんの尊厳、意志を尊重することが重要である、と小串医師は言います。
実際に小串先生は、いち早く東近江市で地域医療・介護のネットワークを作り上げ、地域包括ケアの礎となる活動を続けてきました。数多くの患者さんを診てきた中には、「血圧が不安定で入浴は避けたほうがいい状態だった。しかし患者さんがどうしてもと望むので、OKを出した。その数日後に亡くなった」というようなケースもあったそう。
『「最期にお風呂に入れて気持ちよく旅立てました」と患者さんの家族には、とても感謝された。看護師さんには怒られたけどね』
『人間はいずれ死ぬ。必ず死ぬんだから。誰でも』
小串先生のような考え方の医師は、最近増えています。が、まだまだ十分とはいえず、前者の内科医のような考え方が多いでしょう。主治医になった医師によって、生活が、人生が変わってしまうかもしれない。
けれど、親がどうしても〇〇したい、と言ったらどうしますか?
死ぬかもしれないリスクを受け入れる覚悟を持てるでしょうか?
そして、自分がその立場になったとしたら…?
医師の言うことを聞いて、じっとしているのでしょうか?
いつまで?
あれからずっと考えているカッキーでした。